2010年8月17日火曜日

私たちの先輩の姿を追う-そのⅢ

助宗佑美さんの“編集”の仕事

漫画編集の仕事は、どのような仕事?

 助宗さんの仕事は、「漫画編集」であるので、「雑誌編集(週刊誌・ファッション誌など)」とは少し異なった仕事である。

 具体的には、事務的管理(締め切りを守るようにスケジュール管理をすること、印刷所の人への文字指定、原稿がそろっているかどうかの確認)をして、必ず雑誌に載るようにすること、人・企画の選定(イラストはどうするか、「KISS」という雑誌像に合うような企画出しなど)、漫画家と世間(社会の流行の流れ)とのすり合わせ、具体的には世間が求めているものと漫画家がやりたいことを織り交ぜること、そして、書店への営業だ。
 
 とにかく人ありきである仕事であるので、「人に合わせること」がとても大切だ。そのため、人に奉仕して、盛り上げることが仕事の一つで、休みであっても仕事に行かなければならなかったり、毎日定時に上がれるような仕事ではない。

講談社Kiss発行の漫画

入社前・入社後で、仕事にギャップがあったのか?

 「編集の仕事になるときに、「創造性」の面で、初めは勘違いをしていた」と助宗さん。「自分の意見を素直に言っていく」ことが、自分の創造性だと思っていて、編集の仕事はとても創造的な仕事だと思っていたそうだ。だが入社してまもなく、自分の好きな世界観だけを出してしまっては仕事ではなくなってしまうということに気づかされたのだという。

 「たとえば自分がすごく好きだけど全然売れない漫画と、自分はあまり好きじゃないけど読者にすごく好評で売れ行きがいい漫画、ひとつの枠しかもう残っていない場合、どっちを選ぶ?」と、上司に聞かれたとき、初めは前者を選び、自分の好きな漫画を売り出すということが仕事だと思っていたそうだ。しかし、今ではみんなが求めているものを残すということが正しいと思っているそうだ。なぜなら、編集は「漫画家の創造性と世間の求めている物を合わせること」が仕事だからである。一番理想的なのは、「自分が面白いと思うものが売れること」であるが、そのためにはみんなが楽しい・面白いと思ってもらえるのはどんなものか?ということを知り、漫画家もそれを楽しく受け入れてもらえるように工夫して提案するということが必要になるという。

Kissを手に真剣に語る助宗さん

今後の仕事における夢

 助宗さんの仕事における夢は、“ヒット作を出すこと” だという。

 自分が好きなことだけをやっていればいいということが仕事ではないことがわかったために、人々が楽しめるような作品を作っていきたいと語る助宗さん。編集者というのは、漫画家が困ったらそれをフォローし、また読者の人からの要望に応え、良いものを作っていく仕事であり、全てが人のために動いている仕事であるという。締め切りが近づくと漫画家にこまめに連絡し、休日も本当に休めるのかわからず、夜は何時に帰れるか分からないというハードな仕事であるが、この仕事を楽しいと語る。               

 「人のためにやっていることが、自分のためと思え、それが返ってくることが幸せだって思えます。もっと人が楽しいと思うことをして、もっと自分がよかったなあっていう風に思いたいです。」と笑顔で話してくれた。今後は、「売上○○万部突破の漫画、また、ドラマ化まで発展する漫画の担当をしたい。」という。今後の助宗さんの活躍に期待である。

記事/伊藤梨紗・高梨杏奈

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助宗佑美さんプロフィール

出身/静岡県
学部学科/文学部芸術学科(2006年卒)
就職先/講談社 Kiss編集部在籍

講談社 Kiss
講談社出版の女性向け漫画雑誌。
1992年から創刊。
講談社HP /http://www.kodansha.co.jp/

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写真、コラージュ/伊藤梨紗
イラスト/平野嶺人

私たちの先輩の姿を追う-そのⅡ

飯村&平野の!
私たちの先輩を追う
~就職活動編~


飯村)私たちも就職活動が間近に迫っていますが、平野君はなにかやっていますか?

平野)やってないけど、俺は夢あんだ。

飯村)おぉ、夢とは?

平野)営業マンだよ。

飯村)やりたいことが見つかっていない僕にとって、平野君のように具体的に夢があると言える人は素晴らしいと思います。以前、マスコミュニケーション論の講義で、芸術学科の先輩にあたる講談社の助宗佑美さんがいらっしゃったんですが、ちゃんと来てましたか!?

平野)すみません、出てないです。どうでしたか?

飯村)個人的にすごく為になりました。特に同じ芸術学科であり先輩として生の声が聞けたのが非常に新鮮で、前向きに就職活動を考えるようになりました。ここからは以前のインタビューをもとに進めていきます!

インタビューは、Twitterで実況中継された。

Q:助宗さんは、就職活動はいつから始めたんですか?


平野)これはね、気になるよ!!

飯村)就職活動は人によってまちまちだしね、助宗さんは大学3年の半ばあたりから始めたらしいよ。助宗さんが就職活動を始めるにあたって、受験とは違って、スタートラインがはっきりしていないから、就職活動は気づいたら始まっていたんだって。

平野)何をもって就職活動っていうのかもはっきりしないしね!
  助宗さんはなにか特別なことをやっていたのかな?

飯村)助宗さんは少しの間、就職のための予備校通っていたらしいよ。

平野)なにそれ!?そんなのあんの?

飯村)うん。助宗さんは講義自体に不満はなかったらしいけど、ただ、予備校で何十人と一緒に受けることは、その何十人と同じ発想や考え方に染まってしまいそうな気がしたんだって。もっといってしまうと同じ履歴書の書き方になってしまうという懸念があったらしいんだ。

平野)なるほどね。就職活動は受験と違って答えもないし、しっかりこれが良い悪いという基準もないもんね。是非自分を持ちたい!

Q:学生のうちにやっておいたほうが良いことは?

平野)やっぱり、遊びまくることでしょ!

飯村)惜しい!近い。
  助宗さんがおっしゃっていた事は、当然好きなこともたくさんやるべきだけれども、理解できないことにも興味を持つということなんだ。

平野)これは、深い。

飯村)やっぱり自分の好きなことを極めるってこともすごく大切なことなんだろうけど、それ以外の分野に目を向けることで、新たな見地が見えてきたりするのかな。

平野)道徳か!でもたしかに、理解できない分野ってどうしても、理解できないで片付けてしまいがちだけど、それって実はすごくもったいないことなのかもしれないね。

飯村)そうだね。ざっと通してきたけど、どうですか?ためになりましたか?

平野)もちろんためになったし、なにより忙しい中時間を縫って来てくれた助宗さんに本当に御の字だね。

飯村)本当だね。

飯・平)助宗さん、どうもありがとうございました!

記事/飯村啓・平野嶺人

私たちの先輩の姿を追う-そのⅠ

 私たちは火曜5限マスコミュニケーション論Aを受講しているメンバーで、Twitterのアカウントを立ち上げた。そのアカウントはMasshiroGoldと名づけられ、ヘピョンというマスコットキャラクターも誕生した。MasshiroGoldでは、私たちが通う明治学院大学のイメージや耳より情報などがつぶやかれている。また、先日はスペシャルプロジェクトとして、日本を含む世界中(6カ国8都市)の大学生の1日を覗いてみた。
 
 今回はスペシャルプロジェクト第2弾として、私たちが是非お話を伺ってみたいと思っていた先輩、2006年に明治学院大学文学部芸術学科を卒業した助宗佑美さんを7月13日の授業内にお招きした。学生時代の様々な経験や就職活動、そして現在働いている編集の仕事について多くのことを伺った。Twitterで宣伝したので、当日は普段授業を受講していない人も多く参加し、助宗さんの話に真剣に耳を傾けている人ばかりであった。普段こうやって自分の所属している学科を卒業した先輩の話を聞くことは珍しく、とても貴重な時間を過ごすことが出来た。私たちがお話を伺ってみたいと思った先輩をお招きした。当日のインタビューの様子はTwitterにてリアルタイムで伝えられた。

私たちが入学した時配られたパンフレットの記事

~助宗さんの大学生時代~

「明治学院は第一志望の大学ではなかったんですよ」

 インタビュアーの「どうして明治学院大学の芸術学科に行こうと思ったんですか?」という問いに、「明治学院は最初は第一希望だったわけではないんですよ」と答える助宗さん。小さい頃から漫画や本を読むのが好きで、大学では芸術について学びたいと考えていたという。静岡に住んでいたということもあり、都内の大学で学ぶことに憧れ、首都圏の芸術を学べる大学を探した。第一志望の早稲田大学は落ちてしまったが、明治学院大学文学部芸術学科に見事合格し、一人暮らしを始めるようになる。地方の大学で学ぶよりも、美術館などが多くある都会の大学で学びたいという考えを持つ助宗さにとって明治学院大学の芸術学科はとてもいい環境だったのである。

「映像系列の四万田先生が印象的です」
 
 在籍中は日本美術史を専攻していた助宗さん。特に山下祐二先生の教科書的ではない授業が好きだったという。芸術を学ぶにつれて自分のメンタリティと自分の好きなものとのつながりに興味をもち、4年次には山下ゼミに入り、多くのことを学んだ。そのゼミで気の合う仲間と出会うことができ、今でもそのゼミの仲間とは良い関係である、と笑顔で語ってくれた。ゼミの仲間は初めて「大学で心からクラスメイトと呼べる仲間ができた」と感じることができるほど一緒にいて心地よかったという。

 助宗さんの話を聞いている人たちは全て芸術学科の3年生だったので、もうすぐ決めなくていけないゼミの進路についてのアドバイスを聞けて、メモを真剣にとっている姿が多く見られた。

 助宗さんの特に印象に残っている芸術学科の先生を聞いたら、映像系列の四万田剛己先生の名前が挙がった。芸術学科に在籍している人ならこの先生の名前を知らない人はいないのではないだろうか。助宗さんは、四万田先生は他の大学の先生と違うところに魅力を感じたと言う。「他の先生と比べて、彼は生徒を怒る時、文化的な背景、理由をきちんともって指摘し注意する。」その言葉を聞いて、必ず一度怒られたことがある私たちは深く納得してしまった。

助宗佑美さん

「今までの少女漫画とは違う魅力がありました」

 「大学生のとき好きだった少女漫画は何でしたか?」という問いに、助宗さんは安野モヨコさんの『ハッピーマニア』をあげた。この作品は、1995年~祥伝社の月刊雑誌「FEEL YOUNG」に連載されていた。安野モヨコさんと言えば、最近ドラマ化もされていた『働きマン』などが記憶に新しい売れっ子の漫画家さんである。

 「『ハッピーマニア』を読む以前は、少女漫画とは素敵な王子様が運命的に現れて、自然とハッピーエンドを迎えるのが当たり前だと思っていました。けれど、この作品は女の子が自ら幸せを追い求めて行く姿がいい。見ていて元気が出てくる作品です」と、助宗さんは言う。

 助宗さんが担当している漫画雑誌、kissに連載されている作品も、働く女性、幸せをただ待っているだけではないリアルな年齢の女性をヒロインとしたラブストーリーが多い。助宗さんが好きであったジャンルの作品なのではないだろうか。好きな漫画に携わる仕事をしている助宗さんは、私たちの目にとても輝いて映った。

真剣にお話に耳を傾ける学生たち

「写真部、白金祭実行委員会、どちらも必要な場所でした」

 大学生活中、助宗さんは写真部と白金祭実行委員会に所属されていた。写真部はもともとの趣味であった写真をもっと撮りたくて入部。適度に力を抜いた活動で、好きなことを自分の気の合う人とやって過ごすという、助宗さんにとって気の休まる場であった。一方、白金実行委員会は、知らないことや経験のないことばかり。とにかく忙しかったと言う。その上、当然気の合う友達ばかりの集団ではない。自分と全く違う意見や考え方を持った人と出会った。白金際を成功させた後の充実感や、仲間との結束力の強さを感じ、とてもやりがいのある委員会だと実感したらしい。写真部の居場所も白金実行委員会での居場所も、どちらも助宗さんが成長する上で必要不可欠な場所であったのだった。

「人には弱い部分もあると認めてあげることが大切」

 インタビュアーの「明治学院に来て良かったことは何ですか」という問いに、助宗さんは記憶をたどりながら言葉をひとつひとつ探し、丁寧に語ってくれた。「今の職場で、全く理解できないと思うような人から、そういう考え方もあるのかと学ぶことがある」つまり、勉強に対しては中庸な明治学院だからこそ、いろいろな立場の人の気持ちを理解しようとする心が養われたのだ。第一希望ではなかった明治学院に入学して、正直に言うとコンプレックスを持っている学生が多くいると思う。しかし、助宗さんはそのコンプレックスを体験し、乗り越えたことから学ぶことが多かったと言う。「自分がコンプレックスを味わったからこそ、人間には誰しも弱い部分があるということを知っているはず。だから、もし周りの人が失敗してしまったり、出来ないことがあったりしたとしても一方的に責めない。私はそうやって人間関係は成り立っていると思う」

記事/渡邉芙美・越田香苗