MasshiroGold
2011年3月5日土曜日
2011年1月18日火曜日
私とメディアの共存
著者は、最近メディアに対する疑問と不信感を持っている。それは、果たしてメディアは中立的な立場にいるのだろうか、ということである。昨今の政治や芸能バッシング、特に政権交代や尖閣問題といった報道のされ方に対してである。著者が思うことが正しいとは、全くもって主張するわけではないが、どのようにメディアと付き合っていくかという疑問は尽きなかった。
そうしたモヤモヤとした気持ちの中で迎えた2010年11月30日。雑誌「ソトコト」の編集者としてメディアの最前線で働くスティーブ氏の講義を聞く機会に恵まれた。その中で氏が話されたメディアのあり方や氏のポリシーに、著者は非常に感銘を受けた。そして、著者の疑問であったメディアとの付き合い方にひとつの解法を与えてくれた。
メディアの力
日本新聞協会の2009年の発表によると、各メディアに対して「情報が信頼できる」と評価した割合は、新聞が39.5%、テレビが10.1%(民放)、43.3%(NHK)、ラジオが8.7%、雑誌が3.1%、インターネットが5.3%となっている。一時期の80%を下回る形ではあるが、新聞では3割強、テレビではNHKで4割の人が信頼できると評価している。また「社会に対する影響力がある」という評価では、新聞が52.8%、テレビが53.8%(民放)、51.5%(NHK)、ラジオが15.8%、雑誌が18.2%、インターネットが36.5%となっている。それぞれが、「信用する」という評価を上回る結果となっている。ここから、その信用度に関わらずメディアが持つ影響力の強さが分かる。
こうした状況において、スティーブ氏はメディアの影響力の強さとして「注目するところでイメージが変わってしまう」ということを指摘した。これは非常に危ういことである。例えば、著者が尊敬する人物に麻生太郎元首相があるが、彼は「漢字も読めないお坊ちゃん」というイメージが強いが、リーマンショック時でのG20での功績や中東に対する平和と繁栄の回廊構想などは一般的に知られていない。また「椿事件」や「松本サリン事件」など、印象操作ともとられかねない事件も起きてしまう。
こうしたことから、メディアが紹介する情報の信頼性に関わらず影響力があるということは非常に危うい状況にあるといえる。ナチスの政治家でプロパンダの天才といわれたパウル・ヨーゼフ・ゲッペルスの言葉に「嘘も100回言えば本当になる」というものがあるが、この通りになってしまう可能性をメディアが孕んでいることを忘れてはならないだろう。
言語の壁を越える
このような問題を超えていくには、情報の吟味という作業が必要になろう。そのために、複数のメディアに触れることが望ましい。そして、特に、考え方の異なる海外メディアと比較するのがよいと思われる。
しかし、スティーブ氏は、日本がメディアのグローバル化についていく際に妨げとなっていることに言語の問題を挙げた。現在、テレビや紙媒体に加えて大きな領域を持っているのがインターネットである。総務省の発表によると日本における普及率は、平成10年に13.4%であったのに対し、平成21年には78%まで上昇している。インターネットの利便性は、テレビ以上の伝達の速さと世界中まで広がる領域の広大さである。これによりインターネットは、すさまじい情報量を有している。
ここでスティーブ氏は、自身の経験からインターネットには言語の壁が存在することを指摘する。確かに、著者も外国語のサイトはほとんど見ない。このように窓が開かれていても、その外に出なければ、せっかくの膨大な情報量も意味をなさない。結果として国内だけに目を向けることになってしまい、狭い情報しか得ることが出来ない。
それを表していることが、「シーシェパード」の例であろう。日本国内においては「テロリスト」と呼ばれる彼らだが、海外では「生物保護団体」として認められている。確かに日本の報道を見ていると、「調査捕鯨の妨害」「薬品やロープを使った暴力的行為」などと、とても保護団体とは思えない報道をしている。これは、海外での報道とは異なる部分が多い。日本の報道が嘘をついているとはいえないが、こうした情報の齟齬があることは事実であり、われわれ一般人がその齟齬を解消するために海外メディアの報道を参照したり素直に受け止めていたりする印象は受けない。
海外メディアに触れるためには、まず言語の壁を越えなくてはならない。各海外メディアも日本語のサイトを開設しているが、この問題は、われわれ一人ひとりが感心を持ち、多少の時間と労力を用いて、積極的に触れていくことが大切になってくるだろう。
メディアの中立性
影響力を大きく有する新聞やテレビといったメディアと、今後どのように付き合っていくべきであろうか。今までは発信者と受信者が明確に分かれていた。しかし、インターネットの普及により、その枠は曖昧になっている。いまでは、誰もが発信者になれ受信者になれる。ともすると、情報化社会、情報飽和状態などと風刺されるように広大な情報の海の中を自分自身の判断によって進んでいかなくてはならない。影響力はあっても信頼しきることが出来ないと評価を下したならばなおさらである。国内だけでなく海外のメディアや、またインターネットという真偽を確かめにくいメディアとも付き合っていかなくてはならず、その間で葛藤し吟味しなくてはならない。一部では「新聞やテレビは信じてはいけない」という声も聞かれる。いよいよもって「メディアの中立性」が問われる時代であろう。
しかし、スティーブ氏は「中立的メディアはない」と指摘する。これは非常に驚くべき指摘である。極端な捉え方をすれば、すべてが偏ったメディアであるとなってしまう。もはや何を信じるべきか分からなくなる。そこで、スティーブ氏は次のような解決法を提示した。「自分の中に中立点をつくる。そしてそれは教育によってなされるべきである。」これは重要な指摘であると思う。確かに各国でメディアリテラシーの教育が進められている。そのシステム化や現場での問題など「教育」によって果たして理想どおりの結果が得られるか著者は疑問に感じるところではあるが、その効果に関わらず、個人がメディアに対して興味を持つということは重要であろう。そのために「メディアは”Lead”ではなく”Follow”として機能すべきである」とも、スティーブ氏は指摘する。補助装置としてメディアをいかに活用していくかがわれわれに課せられた問題である。
外国語を勉強する。ひとつの事象を複数のメディアで比較する。周囲の人と意見を交わす。そうした地道な努力が、混合玉石の情報で溢れかえる社会に対して共存していく確実な方法であると著者は思う。
伊藤達哉
ロハスなう
次に、ロハスの概念を紹介してみようと思う。ロハスの一番大切な概念、それは、ただのエコではなく、こだわりを持ったエコライフである。エコとは、元来、過度な節約・再利用など、どこかで無理をするようなものであったが、ロハスは上記の通り健康ライフスタイルに関心のある人への営利活動へ結び付けるために生み出されたマーケティング用語である。しかし、この解釈はアメリカのものであり、日本でのロハスは健康と環境を考えるライフスタイルそのものであり、また、その生活に関わる商品も含まれるのである。ロハス意識を持った人はむしろ、エコ生活を豊かにするために消費し、そうして生まれたスタイルをロハスとし、自らを消費者の中のリーダーとして行動する人々の事である。
具体的な例として・・・ロハスへの目覚め→MY箸・エコバック・タンブラーなどの購入→無理なく節約できたお金で念願のエコカーライフスタート→エコカーに乗りオーガニック食材を使ったレストランに行ったり・オーガニック素材の服を着る→週末はオーガニック オイルでアロマセラピー❤ ナドナド
KEI&UNOの年刊スローフード新聞
先日「ソトコト」の編集者スティーヴ・ジャービス氏からお話を伺い、今までの大量消費社会から抜け出し、次の世代、健康、自然などにも考慮したライフスタイルとしての「ロハス」の活動について、多くのことを教えていただき、また、それを機会に私たち(編集部員ウノとイイムラ)は「ロハス」の活動の一環として「スローフード」、また、それらの活動ないようについて調べることにした。
彼らの活動からは、「食」に対して更に根本的なところに焦点を置き、消費し、されるためだけの食事では無く、食自体を見つめなおし、共に行動していく共生産者としてのものを感じ取れるのではないだろうか。
しかし、このスローフードには、まだ更なる可能性が秘められていると私は考えている。
つまり、自分たちの生活に取り入れることが中心なのではなく、「活動」自体に焦点が置かれている。したがって、現在の「スローフード」における活動の多くは、本当に強い「ロハス」へのシンパシーを所有しているものたちのみの所有物となってしまっているのだ。
スローフードとは?
エコポイント、エコカー減税、最近なにかと“エコ”という言葉をよく耳にする。先日、環境ファッションマガジン「ソトコト」の編集者スティーヴ・ジャービス氏を招き、昨今騒がれる環境問題について尋ねてみた。その中で「ロハス」という言葉が出てきた。ロハスとは、健康や環境問題に関心の高い人々のライフスタイルを営利活動に結びつけるために生み出されたマーケティング用語である。
そのロハスの一環として台頭してきたのが“スローフード”。
スローフードとは、現代人の生活スタイルに合わせて、標準化・画一化され発達していったファーストフードとは異なるものだ。
しかし、スローフードとファーストフードは単に対極の関係にある訳ではない。
ではスローフードはどういった成り立ち、概念で成り立っているかを見てみよう。
○●スローフードの成り立ち●○
イタリアの食文化がファーストフードに潰される、という危機感から
1986年にイタリア北部でスローフード運動が始まった。
○●スローフードの概念●○
(1)消えてゆくおそれのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、酒類を守る。
(2)質のよい素材を提供する小生産者を守る。
(3)子供たちを含め、消費者に味の教育を進める。
日本に於いて販売や流通の合理化を進めるにあたり、北海道から沖縄まで均一な値段で均一な味を提供するという画一化が進められている。そういった動きの中で、郷土料理や地元の日本酒などはそもそも伝統的な食品にも関わらず、あまり馴染みのないものになりがちだろう。
現在、日本の地方は限界集落の出現、過疎地域の増加などからわかるように、元気がなくなってきている。そこで、スローフードの概念は地方を活性化する大切な要素の一つになり、新しく注目されるべき運動だろう。
「参考サイト、文献」
http://www.treehugger.com/files/2008/08/slow-food-nation-san-francisco.php
http://acquacitta.cocolog-nifty.com/italia/2009/04/tokyobayslowfoo.html
http://seagullbanquet.sakura.ne.jp/pg66.html
http://www.slowfoodjapan.net/
スローフード・バイブル―イタリア流・もっと「食」を愉しむ術
(著)カルロ・ペトリーニ
スローフードな日本!
(著)島村 菜津
そして、先生、生徒の皆様方の貴重なアドバイス!!!!どうもありがとうございました♪
2011年1月11日火曜日
eco & fashion
“エコとファッション”はもはや切り離すことのできない密接な関連性を持っています。現在のファッションシーンにおけるエコの在り方と今後について書いていきたいと思います。
『ソトコト』編集部スティーブ・ジャービスさんのお話から
11月30日、マスコミュニケーション論Bの授業を通しエコ雑誌『ソトコト』編集部スティーブ・ジャービスさんと対談する機会をいただきました!スティーブさんはとてもフレンドリーな楽しい方で、貴重なお話をたくさん聞くことができました。スティーブさん曰く「『ソトコト』は当初、エコファッション雑誌として創刊開始し、ファッション雑誌のジャンルに属していた」そうで、実際に現在でも『ソトコト』本誌にはファッションページが存在します。この事実からも“エコとファッションの関連性”というものを見て取ることができます。
collection and eco
ファッションデザイナーたち (特に現在のファッションシーンを牽引するデザイナーたち)の多くは、現在“地球環境”に対し真摯に考え、ファッションを媒介にそれを表現しています。毎シーズン世界各地で開催されるコレクションでは、数多くのデザイナーたちが大自然をモチーフに作品を生み、彼らの自然賛美や大自然に対する畏敬の念を自由に表現しています。故アレキサンダー・マックイーンは2010ssコレクションにおいて、産業革命前後における地球環境の対比を表現しました。その際、次のようなコメントを残しています。
PHOTO by Shuzo Sato (fashion news)
アレキサンダー・マックイーンは地球環境の変化に対し、産業革命を機に人類と自然のパワーバランスが逆転し、環境破壊が始まったと考えました。そして、マックイーンは彼自身の世界に対する見解と人類が世界に対し行ってきた行為に対する見解を、大胆かつアグレッシブに、また同時に精密な美しさを伴い、2010ssコレクションにおいて表現して見せました。このコレクションから私はマックイーンの自然に対する敬愛と環境保護に対する熱望(焦燥感をはらむ)を強く感じました。そして、それは同様に彼のコメントからも感じることができ、すなわちコレクションを通じ彼が主張しようと試みた内容そのものではないかと私は思います。
環境問題に対する強い関心を示しているのは、アレキサンダー・マックイーンだけではありません。マックイーン以外にもヴェロニク・ブランキーノ、イッセイミヤケ、クリストファー・ケイン、クリスチャン・ディオール、ジル・サンダー、ロダルテ等、様々なビッグメゾンにおいてデザイナーたちが地球環境や自然に対する自身の意識をコレクションを通し次々と表現しています。
Alexander McQueen 2010ss
First look 産業革命以前
Last look 産業革命以後
fashion products and eco
オーガニック素材やリサイクル可能な素材を使用したエコラインをつくる等、より実践的なエコに取り組んでいるデザイナーもいます。彼らは自らのクリエーションに則った様々なエコプロダクツを生み出しています。
フィリップ・リム(NYを拠点とする人気デザイナー)はバーニーズNYとコラボし「Go Green Go by Phillip Lim」を展開しています。このエコラインではsustainable fabrics(持続可能な生地)を用い、化学染料を使用せず自然染料によるearthy colorで彩った様々な商品を展開しています。特に白のオーガニックコットンを使用したワンピースは秀逸です。
“Save at Pole”
PHOTO by Marc Jacobs official web site
エコファッションと商業主義
現在、エコファッションはますます普及してきています。ファッションシーンを牽引しているデザイナーたちがエコに対し言及し、次々とエコ商品発表に乗り出していることからも、今後より一層ファッション業界においてエコが重要性を増していくことは確実なのではないでしょうか。しかし、ファッション業界におけるエコが商業性を帯びていることは否めない事実のように感じられます。今後エコが普及していく中で、エコの元来の意義“地球環境の保全”“生物多様性の保全”が見失われず、エコとファッションが共に発展していくためにも、我々消費者がエコに対し正しい知識を身に付け、真摯に考えていくことが必要だと私は考えています。
おまけ! ‐‐“アンチ・エコバッグ”
PHOTO by Fashion News
東京ブランドデザイナー“ケイスケ カンダ”のデザイナー神田恵介によってエコブームとファッションを皮肉ってつくられたユニークな商品。一見普通のエコバッグに見えますが、産業廃棄物処理用のずだ袋使用した、100%ピュアな化学繊維でできた、エコとは対極のバッグです。神田恵介氏曰く「“エコって胡散臭くない?”なんて疑問に思ってほしいんですよ。“エコってやっぱ大切じゃん”と感じてもらっても結構。要は世の中に流されず自分の頭で考えてみましょう、ということ。無邪気に正義ヅラしてる人がイチバン怖かったりするもんです。」確かにそうだと思います。そしてうさみみの女の子がとってもかわいい!
参考資料:
Fashion News
NYLON
VOGUE
記者:大橋 翠
はじめまして、ロハス!
ロハスについて説明する前に、まずアメリカにて1980年代から徐々に増え始めたカルチャー・クリエイティブ、訳して「新しい文化を創る人々」について説明したい。かつてアメリカ社会の体系は、主軸をなす近代主義と、対抗軸をなす伝統主義に大きく分けられた。そして、この2つと全く異なる意識と価値観と行動パターンをもつ第3の潮流がカルチャー・クリエイティブである。彼らは、エコロジーや地球環境、人間関係、平和、社会正義、自己実現そして自己表現に深い関心を寄せる。彼らの生活は伝統主義者の生活と似ているところもあるが、根本的な考え方が違う。伝統主義者は近代のメディアや産業を受け入れようとはしない。一方で、カルチャー・クリエイティブにとっては近代主義の物語は既に破綻しているのだ。例えば、カルチャー・クリエイティブがマクドナルドに行かないのは、それがただ単にゴミを出しすぎるから、健康に良くないからではなく、その空間が悪趣味で、味がまずいと感じるからなのだ。
私たちがロハスについて調べ始めた時、とても驚いたことがある。ロハスという言葉は、カルチャー・クリエイティブのライフスタイルを営利活動に結び付けるために生み出されたマーケティング用語なのだ。1990年代後半、アメリカ中西部ロッキー山脈の麓にある美しい街、コロラド州ボールダーにあるGAIAM社はカルチャー・クリエイティブを新しい市場に見立てて、LOHASというコンセプトを提案した。家庭用品、衣料品、クリーンエネルギー商品など関連商品をセレクトあるいは独自に作ってウエブサイトを通じて販売するようになっていた。LOHASとは「Lifestyles Of Health And Sustainability 」の頭文字をとったもので、直訳すれば「健康と持続可能な社会を志向するライフスタイル」となる。「次世代」、「発展途上国の人々」、「人類以外の生物」への“思いやり”を持ち、個人の心と体の健康だけでなく、社会や地球の健康にまで配慮したライフスタイル、それがロハスに託された本来の意味である。
<日本でロハスが普及するきっかけとなった「ソトコト」>
日本で最初に「ロハス」を紹介したのは2002年の日本経済新聞だった。しかし、「ロハス」という言葉が日常的に聞かれるようになったのは、2004年に入ってから。この年、「ソトコト」がロハス特集を組み、日本に浸透し始めた。ソトコトは自らを「ロハスピープルのための快適生活マガジン」と謳っている。もともとはエコ以外にファッションの記事も扱っていたソトコトだが、いち早くロハスという着眼して、それに特化したことは、この雑誌の強みと言える。
・ロハスデザイン大賞
環境負荷の小さな商品や社会貢献につながるグリーンな製品やサービス、あるいは、誰もが参加できるボランタリーなアクションや画期的なアイデアなど、私たちが暮らしのなかで実行できる様々なグリーンアクションをエントリーし、みなさまの投票によって「ヒト」「コト」「モノ」各部門の「ロハスデザイン大賞」を決定するイベント。2010年特別賞はECOアイドリングが受賞!
・ソトコトロハス塾
紙面を読むだけでなく、体感するロハスがコンセプトのユニークなカルチャースクール。ピラティスやボサノバ、廃材デニムでぬいぐるみをつくるなど、本当に様々なソトコトならではのロハスを学べるのが特徴。
日本では、世界的に有名な音楽家の坂本龍一さんが風力のみで発電された電気を使ったコンサートを開催したり、20~30代の女性を中心にヨガやマクロビオティック(玄米・野菜・海草を中心とした食事)などが身体の内側からも美しくなる方法として人気が高まったり、こうしたこともロハスの普及に一役買ったと言える。そうして、女性誌やテレビ番組が次々にロハス特集を組み、認知度が徐々に上昇している。意識すると、テレビ番組で扱われるエコなどは、ロハスに精通するものがある。ロハスという考え方は日本にもともとある「自然に感謝する」という価値観と共通しているな、と感じた。
<参考文献>
・「ロハスビジネス」大和田順子 水津陽子 朝日新書
・「スロー快楽主義宣言!」辻信一 集英社
<記者>
越田香苗
渡邉芙美
なぜ揉める?捕鯨問題
■世界の中の日本
日本の捕鯨の立場
日本は国際捕鯨委員会(IWC)に1951年から加盟しています。IWCは「捕鯨の適当な保存を図って捕鯨産業の秩序ある発展を可能にする」ことを掲げ、1946年に設立されました。2010年5月までに88カ国が加盟、うち捕鯨支持国(日本を含む)は39カ国、反捕鯨国は49カ国です。IWCはクジラの生存数激減に歯止めをかける為、1982年に商業捕鯨モラトリアムを採択しました。日本はモラトリアム採択後、「調査捕鯨」という形で一定数のクジラを捕獲するようになります。
捕鯨賛成国…日本、ノルウェー、アイスランド、ロシア、デンマーク、カンボジア ほか
捕鯨反対国…英国、米国、ブラジル、オーストラリア、フィンランド、フランス、ドイツ ほか
また、日本だけでなく、米国のアラスカエスキモー、ロシアのチュクチ先住民による先住民生存捕鯨、モラトリアムに異議申し立てをしているノルウェーの商業捕獲は現在でも行われています。
■日本の捕鯨
捕鯨の歴史
日本捕鯨協会に拠ると、日本は先史時代からクジラと生きてきたとされています。九州では縄文時代中期から後期の遺跡で、クジラの脊椎骨を製造台にして作られた土器が多く発見され、また712年に成立した『古事記』にも、クジラが登場しています。捕鯨のことを「勇魚取(いさなとり)」や「鯨突き(くじらつき)」と呼んで、古くから行ってきたとされています。長い歴史の中でクジラが信仰、伝統工芸などと結びつき、伝統を作りました。江戸時代には食用だけでなく、鯨油を使用し、骨やヒゲは工芸品の材料に用いました。現在は国際捕鯨取締条約に基づいて、南極海や北大西洋で調査捕鯨を行っています。
調査捕鯨は、南極海捕鯨類捕獲調査と北西太平洋鯨類捕獲調査があり、鯨類資源の科学的データの蓄積し、資源の不確実性を覆う為に行われています。対象として、資源量が豊かとされるミンククジラのデータを採っています。
日本の捕鯨に対する見解
日本は調査捕鯨をクジラの生態を確かめる為に必要な措置であるとし、またIWCに対してモラトリアムによって困窮している伝統的捕鯨地域社会を救済する為、また伝統的文化の為、長年にわたり捕鯨の再開を訴えています。調査捕鯨では、ミンククジラの肉には汚染物質がほとんどなく、安全であること、南極海にミンククジラが多く生息しており、ミンククジラ資源が健全で増加していることなどが(財)日本鯨類研究所から報告されています。
■反対する人々
シー・シェパード
シー・シェパードはポール・ワトソン氏によって創立された海洋生物を保護する為の環境保護団体です。海を破壊する違法行為を阻止する為、介入活動を行っています。具体的には公海や海洋保護区での密漁、流し網漁、捕鯨などが対象です。行動を起こすのは「違法行為」である確かな証拠がある場合です。クジラだけでなく、アザラシの子、ウミガメ、サケ、サメ、タラ、マグロ、イルカ、ナマコ…など、様々な生物を守る為に活動しています。
シー・シェパードは過激な阻止行為によって各国の警察組織にテロ団体として指定されています。2010年1月には同団体のアディ・ギル号と日本の監視船第2昭南丸が衝突する事件が発生しました。
ワトソン氏は日本に対し、「日本文化、日本人にも尊敬を抱いているし、国の歴史も学んできた。しかし、日本ほど進んだ国が、保護区でクジラを殺す行為をなぜやめない?自然崇拝に根ざした文化があるというのに。」と述べ、日本の捕鯨を反対しています。
カメラを片手に持つ記者を乗せ、レーザー光線で威嚇しているシー・シェパード
反捕鯨国 英国
反捕鯨国は日本に対して、「日本の調査捕鯨は疑似商業捕鯨だ。」と指摘し、また「鯨の生態調査は殺さなくてもできる。」、「調査の為に1000頭以上も長い間獲り続ける必要はない。」とし、日本の捕鯨行為に批判をしています。その反対国に属している英国は、かつて捕鯨文化を持っていた国です。クジラからの油を利用し、燃料などに利用していました。しかし、20世紀中頃からクジラの生存数現象、そして鯨油に代わる燃料などの開発で、捕鯨に対する考えが変化します。それが現在にも通じる「捕鯨は残酷である」という反捕鯨国の主張に変わってきました。英国はこのような点から、決して文化にとらわれることなく捕鯨問題を受けとめています。
■捕鯨問題とこれから
スティーブさんは捕鯨に対して、「僕は大反対とまではいかない。」と言います。国の文化や考え方の違いについては、「簡単に和解できるような解決策はないかもしれない。シー・シェパードの人たちを例にとっても、彼等は彼等の主張を守り、危険な南極海に出て行く。南極海が最も自然な海であり、そこを守りたいという意思が強い。それと日本の漁船が衝突してしまう。互いの考えがうまくまとまっていく方法はないと思う。」と、自ら取材した経験を交えつつ話してくれました。
捕鯨問題は他国との関係の中でも注目されている問題です。国や文化、環境問題など、様々な視点から捕鯨について考えることはこれからの日本の未来に必要だと思います。この記事を読んでいる皆さんも、捕鯨についての見解を深め、どのようなことが人にとって、国にとって、鯨たちにとって良い方法であるのかを探ってみてください。
他雑誌の記事と比較しながら、シー・シェパードについて熱く語ってくれたスティーブさん【出典】
http://gigazine.net/news/20100106_sea_shepherd_ship_collision/ (2011.1.11取得)
http://www.whaling.jp/(2011.1.11取得)
記者:伊藤梨紗・高梨杏奈